2021-04-21

インドの神様ありがとう!② ヴィパッサナ瞑想

ダンマボディでの刺激的な日々。

京都のセンターは”ダンマバーヌ”と呼ばれるように、世界のヴィパッサナーセンターにはそれぞれダンマで始まる名前がついています。ここはDhamma Bodhi、菩提樹を意味するボディという名のセンターです。

寄付で賄われているとは言え、やはり相当な徳を得られた証なのか、富裕層からも莫大な寄付が寄せられるのか。特にインドでは、5スターホテル並みの広大な土地に宮殿のようなセンターがあり、世界のセレブも通っているのだとか。そんななか、このダンマボディは世界のヴィパッサナセンター・ベスト4位に選ばれていました。さすが仏教の聖地!

快晴の下、清々しく門をくぐり、レセプションにて名前の確認をして、さらに奥へと進むと、すでに多くの人たちが集まっていました。すると、昨日ゲストハウスでお会いしたマシャさん(仮名)がいらっしゃるではありませんか!今朝は姿が見えなかったので、オススメのカフェの名前を聞くの忘れちゃったなーと残念に思っていたので、再会の喜びもひとしお。マシャさんは今日だけ受付のお手伝いをして、その後出発するとのこと。

今回は、この瞑想を長く続けている古い生徒のみが参加するコースで、通常のコースと同じ規則や時間割で行われますが、夜の講話がサティパッターナ・スッタという経典について解説されます。通常のコースは読み物は禁止されていますが、読本を与えられ学習します。要するに、本気の人たちが集まるコースです。

いかにも瞑想者らしい落ち着いた雰囲気が漂い、各国から尼僧グループも続々と到着していました。純白、グレー、黄色、オレンジ色・・僧衣もそれぞれ違います。インドの高齢のおばあちゃんたち、中国人グループも多くいました。

また別のレセプションにて、参加登録を行います。各国の生徒たちが集まり、勝手分からずドギマギしている私でしたが、皆慣れた感じで、さらりとフレンドリーに助けてくれました。この際に、夜の講話の言語の選択をするのですが、ちゃんと理解したかったので日本語を選択すると、受付のインド人女性に「直接ゴエンカ師のエネルギーを受けられるのは英語です!」と、強めに英語を勧められました。おっと‼︎

たまたま隣に座っていたフランス人の若者に「英語の講話を受けたことがないの?」と聞かれ、「あるけど理解できるかどうか・・」というと、「もし難しかったとしても、今はアプリで講話は後からでも聞けるよ」と教えてくれました。確かに、講話の時間に一人でレコーディングを聞いているより、英語のグループで師の言葉を聞いた方がよいと思えてきました。二人の説得により、今回は英語で受けることにしました。

案内された部屋に荷物を置いて、添え付けの毛布に加え、先ほど買ったばかりの新品・ふかふかの毛布を駆使して寝床をセットし上機嫌。荷物も解いて落ち着いたところで、オリエンテーションまで、まだまだ時間があります。ふらふら〜と人が集うところへ行ってみると、また別の日本人男性の姿が見えました。なんと、数年前に京都のセンターで共に奉仕をした方でした!驚くと同時に、修行を続けるヴィパッサナっ子は、世界中のいろんなところで再会するのも不思議ではないと思いました。

またマシャさんを見つけて、周りからものすごく慕われている姿に感服しながら、隙をみて質問を投げかける私。「ホットシャワー可」の前情報のわりに、どう見ても可ではない雰囲気なんですけど・・と聞いてみると、外に数カ所熱湯が出るタンクがあり、部屋に置いてあるバケツでお湯を汲みにいき、部屋の水道の水で温度調節をして行水をするということ。部屋に大小のバケツがあった理由がわかりました。

そして、昨日も聞いていたコース後のツアー、取り仕切っている人を紹介してくれたり、頼もしいアニキのよう。そして気になっていた今朝の宿での爆音について聞いてみました。「ハイ、ハイ。うるさいよね。笑」と。「ここもいい修行になるよ」とあっけらかんと笑っていました。覚悟しなくてはいけないことは伝わりました。お話を聞けたりアドバイスをいただけたことがその後本当に心強くて、すごく助けになりました。マシャさんほんとにありがとう! 

レセプションでちょっとした揉め事がありました。中国から直接インドに入った人たちが、コロナウイルス感染予防のため、入場不可となったのこと。多くの中国人グループはすでにインドを旅していたようです。拒否されてもなお諦めきれず、先生と話したいとか、ボランティアスタッフが右往左往していました。

結局、判断が覆ることなく、参加はできませんでした。この後まもなく日本が危険地域とされ、各地で拒絶されたようです。自分もギリギリのタイミングだったことを、この時はまだ知る由もなく・・

その後、ティータイムがあり、食堂でチャイや軽食をいただきました。その時に偶然近くに座った中国人のお姉さんと、インド人の若い大学生の女の子と少しお話をしました。二人とも英語が苦手とのことで、グーグル翻訳を駆使しての会話。何度言っても覚えられないお互いの名前を何回も確認しあったり、コミュニケーション禁止となる直前の、心温まるひと時でした。その後、オリエンテーションがあり、ついにコースが始まります!

瞑想ホールに集合し、順番に名前を呼ばれたら、決められた席に座ります。私はベトナム尼僧の隣でした。いろんな国から集まっているため、母国語のレコーディングを聞く人もいます。多くの高齢のインドのおばあちゃんのために、椅子も用意されていました。驚くはチャイニーズブースでした。瞑想ホールの後方に、畳12畳ほど(推定)の中国人専用エリアがありました。中国人はグループでインドのヴィパッサナーセンターを巡るのだとか。かつての仏教伝来の熱がうかがえるようでした。

このセンターでは、瞑想ホールのほかに、それはそれは立派な建物があり、瞑想のための決まったセル(個室)が与えられます。外から見ると素晴らしいですが、中に入ると、簡素な個室は監獄のような場所。小さな窓の明かりを遮断すると、時間帯によっては本当に真っ暗です。私はここが意外にも集中できて、すっかり気に入り、何回もここに来て瞑想をしました。今まで何人の瞑想者がここで座ったのかと考えたら、歴代の瞑想エネルギーが温存されているような気がしました。

食堂では、菜食の質素なインドの家庭料理のような食事が提供されます。唐辛子の辛さはでない、香り豊かなスパイスがふんだんに使われていて、すごく美味しかったです。場所によってはセンターの食べ物が合わなくて体調を崩した、という話も聞いていたのですが、なんでもカレー味ではあるものの、毎日違うカレー味なので、日々の楽しみとなりました。食堂の外ではジンジャーティーが提供されます。ボーっとしているとあっという間に無くなるのですが、寒い季節にはありがたい温かい飲み物でした。

日が経つにつれわかったことは、チャイナグループのほとんどが瞑想セッションが終わると同時に、その足で食堂に行き、さっさと食べ終わり、各自の部屋に戻って行く、という行動パターン。私が一度部屋に立ち寄り、手洗いを済ませ、食事用の上着や水筒を持って食堂に向かう頃には、すでに半数の人たちはもう食事が完了しています。私はいつもインドのおばあちゃんたちと同じペースで食べていました。

夜の講話では、イングリッシュグループはまた別のホールに移動します。初回こそ皆が並んで座っていましたが、2回目以降はほとんどの生徒は、壁を背もたれに、脚を伸ばして座わり、ちゃんと座って聞いているのは日本人と他数名。どんなに瞑想で座り慣れていても、西洋人はリラックスできるときには無理しないようです。こんな時、いたって平凡な私の中にも、「学びはしかるべき姿勢で受けるべし」という大和魂は健在であることに気が付きます。

コース中は、自分の部屋と瞑想ホールや食堂を行ったり来たり、人とすれ違っても挨拶をすることもなく過ごし、必然的に誰かの笑顔を見ることがほぼなくなります。瞑想に関しては先生に質問する時間があり、生活面の困ったことは奉仕者の方に伝えることはできます。この回では、奉仕者にさえ、できるだけ話しかけずに紙にかいて所定の箱に入れるよう言われました。

余計なことを言わず、聞かず、穏やかに過ごすという守られた環境は、自分自身に直面する時期には本当に貴重でありがたいものでした。話すことができないことが寂しいと感じる人もいるようですが、私はむしろ淡々とした日々の心地よさに、毎回この期間が終わるのが残念な気分にさえなります。

最終日となるメッタの日(メッタ=慈愛 特別な瞑想を行う日)に聖なる沈黙が解け、会話が解禁になります。今までずっと一緒に生活していたので、皆いろいろなエピソードがあり、話したいことがいっぱいあって、センター内は一気に賑やかになります。人の笑顔は本当に美しい、としみじみと実感する特別な日。「心の大手術の後のリハビリ」、再び社会で生きて行くための準備とされる、大事な一日です。

ナンデヤネン!

今回、ものすごく特別だったことのは、何と言っても24時間爆音問題です。初日から度肝を抜いた爆音でしたが、まさかのその後もずっと悩まされました。通常、瞑想センターは自然の音しかしないような、都市部から離れた静かな場所にあるのですが、ここは中心街から20分ほど。結構うるさい、とは聞いてはいましたが・・・

空港も近く、飛行機の音はもちろん、施設内は増築のため建設工事中、近隣のヒンドゥー寺院からは早朝からインドの音楽、センターの隣には大学があり、音楽部の練習、スポーツ部の音・・・。そして極めつけはこの期間、近くで大きな結婚式があったようで、数日間踊りまくるという、この夜通しダンスパーティが本当に試練となりました。

夜10時ごろから、むしろボリュームアップで勢いは増すばかり。「夜は静かに」という概念はないことを受け入れ、耳栓をしたところで、体の深部までつんざくような一番不快な感覚が、むしろ強調されて骨に響いてきます。毎晩もれなくうるさくて、やっと終わった、と思った瞬間、さらに強烈な次なるビートが始まります。朝方、ダンスが終わり、つかの間の静寂が訪れると、次は寺院のヒンドゥ音楽の始まり・・。

ブッダのお膝元で瞑想したい、という期待に満ちて乗り込んだ地で待っていたのは、朝から朝まで、24時間ありとあらゆる不快音が鳴り響く、驚異の瞑想環境でした。コース中は他者と話をすることは許されていないので、誰も文句をいうでもなく、文句をいったところでどうにもならないことは明らか。皆黙々と、静々と瞑想を続け、瞑想ホール内はものすごい集中力に満ちていました。

後からきいた話によると、インド人にとって、音楽は「神へ捧げるもの」であり、むしろ大きな音であるべきで、それが「他人の迷惑」という感性はない!という、特別な感覚があるそうです。どこでも共通する爆音問題、少しは理解できるような・・?? 

瞑想の教えの中で、「アニッチャー」という言葉があります。「無常」すべては変わり続ける、という意味であり、喜びも、苦しみも、永遠に続くものではない、すべては生まれては消えてゆく、という自然の法を意味します。逃れられない騒音に執着すると苛立つばかり。ふと隣を見ると、尼僧たちは気配すら感じないほどただ静かに座っており、この方たちを見習い、これが今回、自分が選んだ修行。と覚悟を決めたのでした。

日本のセンターは人里離れた自然の清らかさに満ちた、とてもピュアで静かな場所です。そんな場所では、他人の咳やくしゃみ、ダウンジャケットで動くカサカサという音がものすごく気になり、最初はすごく苛立ったものです。ここではそんな音はかわいいもの、というか聞こえないレベルです。

日が経つにつれ、静寂を期待することも諦め、それでも瞑想を続ける努力をしている、と思うようになりました。1日に何度か訪れる、ほんの束の間の静寂に感謝できるようになり、結婚式が終わったと思われるコースの後半の数日は、瞑想の集中が驚くほど高まりました。後に「今までで一番集中できた素晴らしいコースだった」と、ほとんどの人が感じたほど。

この時のことを考えると、ただ静かな空間、というものが、とても貴重でありがたいものだと感じます。私は音に対して少し過敏なところがあったのですが、ぬるま湯からナイアガラの滝に投げ込まれたような修行のおかげもあって、反応しるぎる心の耐性が強化されました。

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