2021-05-13

インドの神様ありがとう!⑨ インド脱出!

この2か月の旅は、ある日突然、強制終了となりました。この日の出来事は、今でも奇跡の連続だったと思います。守ってくれた存在を感じずにはいられない経験となりました。

突然の知らせ

2020年3月、2週間の予定で滞在していたアーユルヴェーダ施設で、いつも通りの朝食で、いつものパイナップルジュースを飲みながら、なにげなくFBを見ていたら、「明日からインド全土で国内線が停止します。帰国の準備を!」というメッセージが目に入った。「!!!」ジュースを吹き出す勢いで、何度も読み返す。ブッダガヤで滞在していたゲストハウスオーナーのゆうこさんの投稿だった。

デトックス期間も終わり、この日から私に合ったアーユルベーダの治療が始まる予定だった。楽しみでウキウキしていた平和な世界はこの瞬間に終了し、緊急事態に変わった。心臓が飛び出しそうになるも、国内線が停止するということは、国際線の空港まで移動できなくなるということ=帰国のチャンスは今しかない!と奮い立つ。

私の帰国便はすでにキャンセルとなっていたので、頼みの綱は日本直行デリー発のJAL。とにかく今日中にデリーに飛ばなければ!という思いでチケットを調べると、こんな時に限ってネットの繋がりが悪い。とりあえずデリーまでは予約できた。JALは予約不可と表示されるのみ、ネット予約は諦め、運命は直談判に賭ける。

ホテルの人たちに緊急帰国することを伝えにいき、残り30分でパッキングする。もしかしたら空港で数泊となるかもしれない可能性を考えて、オイルの残る髪と肌を洗い流す最後のシャワーを浴び、新しい服に着替え、出ているものをスーツケースに投げ入れる。ヨガコース後に大体の荷物は送っていたので、荷物は少なく、なんとかパッキング終了。

洗濯途中だったものは持ち帰るのを諦め、文字通りドタバタと、鏡も見ずに一心不乱に出発準備。やればできるものだ。ドクター夫婦がわざわざ部屋まできてくれて、免疫が上がるアーユルベーダの薬を渡してくれて感動した。ホテルの車で空港に向け、予定時間どうり順調に出発した。

外出禁止だったため、ホテル屋上から見える範囲でしか町を見ることもできなかった今回の旅。車のなかでは「外国人は警察からの詰問があるかもしれないから、パスポートとチケットの詳細をすぐに見せれるようにしておいて」と言われた。町は地元の人が食料品店に行列しており、閉鎖された高速道路は人が歩いていた。異様な風景が続いたが、ある意味、珍しい町の様子を見ることができた。

途中、警官が検察していた。パスポートとチケット内容を見せる準備万全でいたが、中を覗いた警官は、まるで私の姿が見えないかのように、何事もなくスルーした。スイスイと車は進み、あっという間に空港に到着した。途中、ドライバーに「国内線停止は29日までなんだから、それまでホテルでゆっくりしてればいいのに」と言われたが、今日しかないという気がしていた。

トリヴァンドラム空港に着くと、大勢のインド人でごった返していた。外国人の姿は数えるほど。急な発表で皆大移動となったのだろう。スポーツチームや学生グループもたくさんいたし、一族大移動のような家族連れも多かった。

デリー行きIndiGOに乗ると、座席はほぼ満席だった。ギリギリでチケットが取れたのも、ものすごくラッキーだったことにこの時になって気がついた。小さな飛行機にぎゅうぎゅうに人が詰め込まれている風景。みんないろんなマスクをしている。ガスマスクみたいなもの、鳥のくちばしみたいな黄色いマスク、ビニール手袋までしてる人あり。

最後の最後に、IndiGoの CAが何人も乗ってきたかと思ったら、続々と空席に座った。航空会社の人たちも明日から動けなくなるのだ。ちょうど私の通路挟んだ隣に座ったCAさんがいた。座るなり帽子をとって、足を組んで、堂々たる座りっぷり。勝手知ったるという貫禄あり。

しかし、これから先、どうなることやら。今日の日本直行便が飛んでいるかどうかもわからず、妙なスリルを味わいながらザワザワした心で時間を持て余していると、隣のCAがおもむろにカップ麺を食べ始めた。今はサービス外!
とばかりに堂々としている。飛行機が大きく揺れ、あちこちで叫び声が出る。そんなときでも、彼女は全く動じず、脚を組んで、ガツガツ食べ続ける。そんな姿を見ていたら、なぜか勇気が湧いてきた。

イチかバチか デリー空港

デリー到着。とても大きな空港で、国際線ターミナルはバスで移動する。バス乗り場の入り口で整理券をもらうのだが、「予約はしてない」というと、おじさんが「ナリタ?」と言って何かを打ち込む。チケットを受け取ると、【JAL 20:30】 の表示に、今夜発の便があることがわかり、希望の光が見える。

一方で、隣にいた西洋人の若者が「帰国便がキャンセルになったからホテルに泊まりたい」と係員にいうと、返事は ”ALL CLOSED!” だった。デリー市街へのバスも電車も ”ALL CANCELED!” と言われ、途方に暮れていた。他人事ながら、飛行機も飛ばない、居残る場所もない状況に、今の事の重大さを思い知った。

国際線行きのバスはガラガラだった。ロシア人らしき若いグループが一組いただけだった。バスで10分程、デリーの市街を走る。ここでも高速道路は閉鎖、公共交通機関も停止、一般人の姿はほとんどなく、警察や軍隊が警備する姿が多くみられた。空港近くのホテル群は全てクローズしており、人の気配がなかった。

異様な光景を見ながら国際線の空港に到着する。各ゲートに軍服姿の警備員が配置され、チケットがなければ入れてくれない。予約はしていないというと、一番奥のゲートでチケットを買えとのこと。行ってみるとチケットカウンターに人はいなく、空港入り口前に人だかりがあり、日本人も数人いた。日本の方と会えただけで一気に安心した。

話してみると、チケットはあるが日付の変更を依頼しているとのこと。先ほど現地のJAL職員に交渉し、返答を待っていると聞き、私もそこで一緒に待たせてもらう。それにしても、予定を早めて帰国しようとする日本人がたった5~6人であることにも驚いた。同じ宿に泊まっていた日本人の中には、29日まで待つつもりで居残った人たちも多くいるということだった。

あるアメリカ人の旅行客は、空港閉鎖や空港会社のキャンセルが相次ぎ、8回もチケットを買い換えたという。「どうしても東京に行きたい!」という悲痛な訴えで、JAL職員がその人を優先にカウンターへ連れて行ったそうだ。日本に帰れるのか、帰れないのか、わからないまま数時間が過ぎた。その間、インド旅行中に日本での感染が増えたため、「日本に帰れ!」と嫌がらせを受けたという話や、日本人が多く泊まる宿が厳しく監視されていたことなどを知った。

そうこうしているうちに、JAL職員が戻ってきた。名前や人数、パスポート、チケット番号をチェックしている。乗れるのかと聞いてもわからない、という答えに、辛抱強く待ち続けた。また別の日本語対応の職員が来ては同じことを繰り返す。この時ほど、日本に帰りたいと強く願うことはなかった。

出発まであと一時間という時点で、JALのお兄さんが現れ、私の名前が呼ばれた。ようやく空港に入ることができ、「私は帰れますか?」と聞くと「YES!」といわれた。この瞬間、喜びと安堵と解放感で、ガラリと世界が変わった。不安と緊張は吹っ飛び、明日の朝には日本にいる、ということが奇跡のようで、神様ありがとう!!という気持ちでいっぱいだった。

空港カウンターはJALのブースのみが開いていて、それ以外はなにひとつ機能していなかった。免税店、レストラン、自動販売機すら、すべて止まり、電気も消されて真っ暗だった。店内にはブルーシートがかけられ、テープで入り口もふさいでいた。その様子を見て、空港の閉鎖が本格的であることを思い知り、今まさに、世界の歴史的な非常事態を目の当たりにしているのだと実感した。

やっと心に余裕がでて、トイレに行って鏡を見ると、髪はボッサボサ、服はヨレヨレ、それはそれは見るに忍びない姿だった。今朝からのスリル満載な一日が走馬灯のようによみがえり、いつからこんなだったのかしら?と笑えてきた。南国仕様のネマキのような恰好から、春の日本に向けて身支度を整え、夜行便の準備は万端!

空港内を見渡すと、さすがはインド、ヨガルームがあった。JALの待合所に向かうと、大勢の人が見えた。レストランがしまっているので、紙袋に入った軽食のセットが無料で配られていた。朝からほぼなにも食べていないことを思い出し、なにもかもがありがたかった。

搭乗時刻となり、JAL機内に入ると、日本人の機長やCAさんが出迎えてくれた。特有の柔らかい笑顔や日本語が心に染み渡る。機長のアナウンスから誠実さが伝わり、感動した。もはや日本愛が爆発し、JALオリジナルドリンク・スカイタイム、亀田製菓のあられミックス、和食の機内食など、すべての日本製品に感動し、日本映画「マチネの終わりに」に浸りすぎてヤキモキしながら、日本の世界観に戻ってゆく。心の底から日本に生まれてよかったと思った。

目覚めれば日本。

爽やかな朝の成田空港

機内の照明で起こされ、ついに日本に帰国した。成田は雲一つない爽やかな晴天だった。早朝に到着したため、込み合うこともなく、すべてはスムーズだった。相変わらず日本の空港の清潔さに感動する。スターバックスでコーヒーの種類に迷っても、バス乗り場でまごついても、誰もがみんな丁寧で優しく接客してくれる。

東京駅に向かうバスから見る風景は平和そのもの。沿道には桜が咲き、道路は首都圏とは思えないほど空いていた。東京からの新幹線も空っぽといっていいほどガラ空きだった。見たこともない日常の景色に戸惑いながらも、。暖かい春の日に、2か月ぶりに無事帰宅した。庭の桜が満開だった。 

そしてこの日の午前0時、インド政府は全土の完全封鎖を決定し、21日間の外出禁止令が発表されたと知った。まさにギリギリ前夜の脱出となった。もしもあの時、FBを見なければ?デリーに行けなかったら? 考えただけで恐ろしくなった。日本の自宅で荷ほどきをしながらこのニュースを見ていることが夢みたいだった。

完全封鎖後もオーロヴィルに残ったフランスの友人たちがいたが、大きなフランスコミュニティがあるおかげで、エアフランスの特別機が帰国を待つフランス人たちを迎えにポンディチェリ空港まで来たのだそうだ。南インドに私が一人残っていても、迎えは来ないだろうな… 改めて、今ここにいる感謝がこみ上げる。

自宅で外出自粛をしている間、インドのニュース映像が何度も放送されていた。街に出ている若者を取り締まり、腕立て伏せやスクワットをさせたり、怖がらせずに注意するため、コロナウイルスを模した緑のかぶりものをした警察がいた。しかも、真面目にやっている。デリーやチェンナイ、この旅で私が通過した大きな都市での出来事だった。

つい先日まで、日常だったインドの空気感が、もうすでに異国の出来事に感じられた。こうして旅の余韻もゆっくりと消え、日本の日常に戻っていった。

会うべきものには必ず会える。一瞬たりとも早からず、一瞬たりとも遅からず。

「神の采配はすべて完璧。キライにならないで。」インドのヨガの先生に言われた言葉です。思い通りにいかないことは、神様から見たら、今じゃないか、必要ないか、小さな自分には見えない大きな視点があるという。

「インドは呼ばれた人がいける国。行くべき時期はインドが決める」というのなら、あえてこの時期に私を呼んでくれたインド様に心からの感謝を捧げます。

私だけでなく、誰もがみんな、宇宙、神様、ご先祖さま、目には見えない大きな力に守られていると感じずにはいられません。そのスピリチュアルな力に気づかせる、不思議な出会いに溢れているのがインドの魅力なのかもしれません。

ここまで読んでくださり、どうもありがとうございました。

いずれまた、ご縁がありますように!

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