2021-05-03

インドの神様ありがとう!⑦ ヨガセラピーを学ぶ

アシュラムへ

コーチから車で約一時間の郊外にある静かな村に、インド最大の哲学者といわれる聖者、アディ・サンカラチャリアが生まれた部屋がそのまま残る生家があります。難解なヴェーダの聖典をわかりやすく体系化し、美しい詩を残した詩人でもあります。

アディ・シャンカラチャリア

この聖人生誕の地は、存続の危機を知った有力なスワミ(僧侶)により、伝統のケララ建築のまま保護され、スワミやブランマチャリア(修行者)などが生活するお寺やアシュラム(修行場)として整備されました。その後、主にヴェーダンタ、ヴァガバッドギーターなど、ヨガの聖典や哲学、それらを読み解くためのサンスクリット語などを学ぶ貴重な大学として Chinmaya University が創立され、多くの学生や学者を集める場所となりました。

若い学生たちが芝生に座って先生を取り囲み、サンスクリット語でヴェーダ(聖典)を習っていたり、マントラを練習する美しい歌声が聞こえてきたり、昔からこうして聖典が伝えられてきたような、どこか神聖な雰囲気漂う場所でした。

今回の30日間のヨガセラピーコースは、大学の学生寮を宿舎とし、特別にヨガホールや食堂はアシュラムの施設を借りて行われました。意外にもエアコン完備で、毎日30℃を超える慣れない暑さでは非常に助かりましたが、近年寄付により設置されたとのこと。この大学に寄せるリスペクトがうかがえます。

シャンカラチャリアの祝福

「この場所でヨガを学ぶということは、シャンカラチャリアに導かれ、祝福されたと同じこと」というほど、今はまだ正しい情報が伝わらず、望んでも簡単にたどり着く場所ではないのだとか。私もほかの多くの生徒も、こんなに素晴らしい場所であるとは、到着してから初めて知りました。

特に感動したのは、シャンカラチャリアが生まれた部屋です。そのまま保存され、今は瞑想室になっているのですが、その部屋のエネルギーは別格です。「その場所に座ると奇跡が起こる」と言われるほど、本当に一瞬で忙しい心が鎮まるのです。私はこの場所が一番気に入り、一日を終えると毎晩ここに座ることが日課となりました。

シャンカラチャリアについてさほど知識もない私でしたが、コースも終わりに近づく頃、友人との会話のなかで、ようやく有名なマントラ「Nirvana Shatakam」を生んだ詩人であることに気が付きました。ヨガの哲学である「私は何者か?」という問いに答えるマントラであり、私たちがとらわれるアイデンティティをすべて否定し「私とは、歓喜である」とうたいます。

世界中で愛されるマントラを歌うアーティスト Deva Premalさんの “Chidananda” という曲で知る人も多い有名なマントラです。私も10年ほど前、まだヨガも知らない頃、偶然出会ったこの曲を、意味も分からず気に入って、CDを買ってよく聞いていました。その後ヨガの学びのなかで再びこのマントラに出会い、暗記するほど大好きになったマントラです。衝撃的な繋がりが発覚し、鳥肌が立ちました。

ヨガセラピーを学ぶ

インドよりSAJIとSHAJI、フランスよりMAITRI。3人の先生のもと、生徒22名、アシスタント1名が参加しました。ヨガセラピーを学ぶため集まった生徒は、半数がフランス人で、カザフスタン、ギリシャより2名、あとはドイツ、オランダ、ベルギー、イギリス、アメリカ、ロシア、モロッコ、そして日本から 各1 名。ほぼ全員がヨガティチャーです。皆、純粋を表す白い服に身を包み、ヨガの神々や師たちに感謝と祈りを捧げ、厳かな雰囲気で気持ちも新たに始まりました。

ヨガセラピーというと、症状によいポーズで痛みを緩和する、というイメージでいましたが、ここでの学びは全く違うものでした。このコースでは、ほぼすべての病気はマインド(心)に原因がある、と考えます。心に受けた痛みや緊張が、やがて表面に炎症やこわばりとして身体に現れるのです。ヨガでは、人間の体は5つの層で成り立つとし、目に見える「肉体」だけでなく、目には見えない「気」「精神」「知性」「歓喜」という深層部分もふくめ、これらの5つのレベルに働きかけるヨガのアプローチを学びます。

ヨガのポーズである「アーサナ」は身体を整えるには必要不可欠ですが、原因となる「心」に働きかけるには十分ではありません。心を整えるには、まずは呼吸によって体を巡る生命力である「気」=「プラーナ」が元気であることが重要です。「体」と「心」をつなぐものが「呼吸」であり、お互いに深く影響しあっています。ストレスや緊張は呼吸を浅くし、逆に意識をして深い呼吸を行うことで心や体をリラックスさせることができます。

人間の体は7つのチャクラと呼ばれるエネルギーセンターがあり、それぞれが支配する内臓機能や感情、人生における進化の過程にも影響を及ぼします。そして、人間も宇宙が作りだした自然の一部、とするヨガの哲学では、地・水・火・風・空という5つの要素が人間の体に反映しているとみなします。洪水、台風、干ばつ、などの自然現象も、この5大要素のバランスが乱れたときに起こるように、人間の病気もこれらのバランスの乱れと考えます。

ヨガセラピーでは、このような目には見えない、体を動かしているエネルギー、そのエネルギーを生みだす要素、さらに言えば、私たちを生かしている「宇宙の法則」「自然の摂理」を基に、人間の体や心を整えます。

聖典の教える真実を知ることは、「知性」の層への薬となり、思い込みによる余計な恐怖や不安を解消し、人生の目的や自己の本質を見出す力となります。

インドでは、ヨガセラピーは病院で行われており、医師が薬を処方するように、ヨガセラピストが適切なヨガ指導を処方し、一般的な病気の治療に適用されているのだそうです。たとえ体力の弱った末期ガンの患者さんであっても、ヨガセラピストが他動的に関節を動かし、寝たまま呼吸法や瞑想を行い、マントラを唱えてエネルギーを与え、闘病の痛みや不安を軽減することができます。そして魂に終わりはないというヨガの世界観を知ることは、幸せに最期を迎える助けになるといいます。

知れば知るほど、伝統的なヨガに基づいたセラピーの奥深さと、インドのヨガが全く違う次元であることに感動しました。

カルチャーショックと学びの日々


毎朝5時に起床。5時半より瞑想が始まる毎日。各症状に対するアーサナクラス、マントラにタントラ、ヒーリングメディテーション、病理学、解剖学、生理学のレビューがあり、連日次から次へとものすごい情報量であり、ただ聞いたことをメモすることに必死で、到底理解が追いつきません。

生徒のほとんどがヨーロピアンだったため、学ぶ姿勢も全く違い、壁に寄りかかる、寝転ぶ、食べる、消える・・よく言えばとても自由。そして常に積極的な質問や自分の意見のシェアによって、先生のお話が中断される頻度が多いことにも驚きでした。そのため、クラスが⻑引き、食事の時間は大幅カット、休憩はないも同然・・という常に時間に終われるハードな毎日でした。

食事はサイレントが基本とされていましたが、守られることはありませんでした。常に時間に追われ、私は必死に黙って食べるしかないのですが、みんなが非常によくしゃべります。黙って食べていると、話しかけてくれたりします。私よりずっと後に来たのに、喋りながら食べて先に帰っていくのです。

ここでは期間限定で場所を借り、外国からヨガの生徒がやってくるだけなので、食事はヨガ的というよりは、スワミたちの食事であり、南インドの家庭料理です。菜食ですが、ほぼカレー味でほとんどが激辛でした。インド系の食べ物は断固拒否の生徒もおり、そんなヨガ生のため、特別に辛くないものや生野菜やフルーツが用意されていたようです。なかでも朝のフルーツは早い者勝ち、明らかに一人一個と察しがつくオレンジも、一人ふたつみっつと遠慮ナシの争奪戦です。

カルマヨガ、という見返りのない行為をおこなう時間があり、一日おきにグループでヨガホールを掃除します。が、この掃除の仕方もまた個性豊かで、便器のブラシで洗面台を磨く人、トイレのモップでヨガホールの床を磨く人・・度肝を抜かれる様々な掃除事情がありましたが、やはり掃除の態度は人格を表すように思えました。そして何より、小学校からカルマヨガを行っている日本は本当に素晴らしいと思いました。

とある一日。

シャットカルマというクリア(浄化)の日。適切な濃度の塩水を一気に大量に飲んで、口に指を突っ込んで吐き出すという胃の浄化法を行います。時々吐けない人がいるのですが、それは普段から言いたいことを言えない、感情を出せない、という傾向を示すので、苦手な人ほどこの浄化法の練習をする意味があります。一度吐き出すと、抑えていた感情がどんどん出てきて数日泣き続けるくらい、感情の浄化作用が高いのです。ちなみに、思ったことをすぐ口にするタイプ人たちは、見事な吐きっぷりでケロっとしてました。

さらに大量の塩水を飲んで、今度は下だすという腸内洗浄を行います。お腹がはちきれる寸前まで飲み、腸を塩水で満たした後は、腸内に行き渡るよう、決められたヨガポーズを行います。塩水が腸内を洗い流すだけでなく、血液から毒素を吸い出します。しばらく横になっていると催してくるので、後は自然に任せて10回ほど排泄すると、どんどん腸内が洗浄されて、最後はただの水のようになり、浄化完了です。

無事にすべてが終了してみると、体は疲れているのですが、気持ちは不思議とものすごい軽快感でした。肉体的な浄化だけでなく、体に蓄えた感情も浄化される、というのも納得です。そしてまた、普段から心配しすぎる人というのも、飲んだ水が出し切れず、手足の関節にむくみがでるのだそうです。ため込む、という心のパターンが体に表れるのですね。(むくみは自然に治ります)

つい数週間前、食中毒で最悪な吐き下しを経験したばかりですが、健全なヨガの吐き下しによって、完全に身も心も身軽になり、浄化されたと感じました!(実際、エネルギーの浄化が起こります)このクリア後の食事はとても大切で、キチリという消化によいターメリックのご飯に、ギー(バターの上澄み)をかけたものを頂きます。このギーが、大量の水流で失ったアグニ(消火力)を取り戻す薬となります。

そして、ヨガの浄化のテクニックとはいえ、不自然なことなので、体の負担は大きく、ゆっくり休むことも重要です。先生の計らいで、午後のクラスはヒーリングメディテーションとなり、深~いリラクゼーションのクラスが行われました。

浄化をしたり、妊婦になったり、個性豊かな仲間たちとの時間は過ぎ・・毎日気温30℃、タイトスケジュールの中、ストレスや寝不足で体調を崩す人もでてきます。このようなインテンシブなコースでは、エネルギーを消耗する無駄なおしゃべりは控えるように言われていたのですが、特によくしゃべる人ほど高熱をだし体調を崩していました。

ヨガコミュニティはフレンドリーな雰囲気がよしとされる風潮があり、黙っていると「どうしたの?」と言われたりします。ヨーロピアンの生徒たちの高めのテンションについてゆけず、疲れてくると英語も出てこず、他にも日本人がいてくれたらなあ…と寂しく思うことも多々ありました。ある時、いつも一人行動をしている人とペアを組み、話してみると、すごく面白くて優しい人でしたが「勉強が目的で、ヨガパーティーに来たわけじゃない」と颯爽と一匹狼。集団の中にいても淡々と一人で過ごせる強さを持つことも、時にはとても大事だと思い知りました。

ヨガの師


主催者であるヨガの先生、SAJI はヨギーというだけでなく、大学でナチュロパスを学んだセラピストでもあります。偉そうな雰囲気が全くない、とてもソフトで優しく、たまに厳しいことも言いますが、それでも常にユーモアを忘れない心温かい先生でした。いつもSAJIのユーモアがピリピリした空気を変え、厳しい状況の中にいるときほど折れかかった心を元気にする薬のようなものでした。笑いを忘れずに、これも大切な教えです。

教育水準が高いと言われるケララ州ですが、それでもまだまだ家庭を助けるために教育を受けずに働く子どもたちがたくさんいて、特に女子は若くして嫁ぐしかないような状況もあるそうです。SAJIはヨガのコースを開催して得たお金のほとんどを、地元の子どもたちや女性たちが勉強したり技術を学ぶために寄付をしています。生き方そのもので、ヨガとはなにかを教えてくれてくれるような素晴らしい師に出会いました。

もう一人の先生、SHAJIはタントラヨガを学んでウン十年、SAJIとともにヨガを教えており、肌も目も、凡人ではない輝きを放っていました。マントラやヨガの儀式の意味など、伝統的なヨガに関することを教えてくれました。フランスのMAITRIは前半で去ってしまいましたが、ものすごく経験と知識が豊かで聡明なヨギー二でした。

素晴らしい師と出会い、消化しきれないほどの大量の知識を受け取り、これからもまだまだ、学びは一生続きます。ヨガを学ぶとは、師から弟子へと受け継がれるもの。知識だけではなく、先生のエネルギーそのものが先生から生徒へと与えられていくものだと実感しました。アシュラムでの体験は、とてもハードで逃げ出したいときもありましたが、信頼できる師に出会い、今でも心の支えとなっています。

アンマに会いにいく

世界中の人から「アンマ(お母さん)」と慕われる「抱きしめる聖者」をご存じでしょうか? ローマ法王やダライ・ラマ法王と共に、世界で最も影響力のあるスピリチュアルリーダーのひとりとして知られています。

マーター・アムリターナンダマイー・デーヴィーはインドの霊性指導者である。
人道的活動によって高く評価されており、「抱きしめる聖者」としても知られている。

<アンマについて https://amma-rainichi.org/amma/index.html

このコースが始まって一週間、まさかのサプライズが用意されておりました。なんと、アンマのアシュラムへのバストリップです!SAJIもMAITRIも、アンマを師として崇拝し、このアシュラムをホームのように過ごしており、私たちを招待してくれました。

早朝の出発だったため、皆がバスに乗るなり寝る体制に入っていたのですが、私は偶然となりに座ったカザフスタンの女の子と会話が弾み、寝るどころではなく、あっというの3時間の旅でした。アシュラムに到着すると、団体入場手続きを終えたMAITRIより「あなたはスーパーラッキーよ。日本人はすでに入場不可のところ、特別に許可してもらったの。」と言われました。ちょうど中国に次いで日本がヤバいとされていた頃です。そうとも知らず、滑り込みセーフでした。

館内は撮影禁止なので写真がなく、様子を伝えられないのが残念ですが、わけもなくワクワク・ウキウキするような、なんとも心地よいエネルギーが満ちている場所でした。アンマの生家の生まれた部屋があり、その場所に入ると、突然ハートがズシーンときました。枯渇していた心が一気に慈愛で満たされていくような感じです。やはりここでも聖者が誕生した場所は、今でも純粋なエネルギーに満ち、直接心に浸透してくるのでした。

アシュラム内にはフレッシュジュースバーや、ココナッツバーがあり、新鮮でおいしいこと!アンマブランドのアーユルヴェーダ製品や、とってもおいしいオリジナルチョコレートも売っています。すべて、愛情をこめ、ピュアな材料のみで作られたアイテムです。アンマが身に着けたアクセサリー、アンマが祝福したものシリーズが売っていたりします。

まずは腹ごしらえ・・インド料理もありますが、私たちは結局みんな、おしゃれなヴィーガンカフェに流れてゆき、久々にすこし現代風なべジバーガーや流行りのローケーキなどを頂きました。このアシュラムでも、滞在者がカルマヨガ(見返りのない奉仕)の時間があり、カフェの仕事もカルマヨギーが担っているようで、利用するたび「交代時間なのに来ていない」という会話を聞きました。やはり、どこでもちょっとサボるタイプの人がいるみたい?笑

そうこうしているうちに、サットサンガ(聖なる集い)の時間です。ホールにアンマが登場し、マントラチャンティングが始まります。そしてアンマは人々をハグし続けます。このハグはダルシャンと呼ばれます。世界中を巡り、時には何万人もの人々を24時間抱擁し続ける慈愛の人です。

このダルシャンを受けるには整理券が必要なのですが、私たちがショッピングだなんだと浮かれている間に、なんとSHAJI先生が私たち全員の分を用意してくれていたのです!そんなわけで、この日の最終回でダルシャンを受けることができました。

マントラチャンティングが流れるホールで、長い列を順番に並びます。アンマの姿はビデオで映し出されるのですが、ダルシャンが短い人もいれば長い人もいます。何かも伝えなくともアンマはすべてお見通しで、必要な人に、必要なものを与えるのだそうです。

ついに私の順番になりました。待っている間に言語を聞かれるのですが、アンマの周りを取り囲むお付きの人が「ジャパンジャパン」というと、アンマは「ジャパーン!」と言い、ピーナツを食べながら、胸に引き寄せてくださいました。ふくよかな体形が似ていたせいか、幼いころに祖母に抱かれていた記憶がよみがえるような感覚でした。頭をつかんで顔を逆に向けられ、耳元で謎の言葉をささやいてくださいました。手の中に小さな包み紙を与えられ、私のダルシャンは終わりました。

「ハイ次!」と、お付きの人たちがさばいてゆきます。つかの間の夢から覚め、人の波を泳いで皆の待つ場所へ戻りました。しばらく壇上のアンマの近くに座ることが許されるのですが、世界中の老若男女がアンマに抱擁され、まるで子供のように泣いたり笑ったりしている姿を目の当たりにし、「慈愛」のパワーを感じていました。アンマは何時間も食事もトイレもいかずに、愛を与え続けます。ピーナッツの香りが印象的な、貴重な体験でした。

帰る前にもう一度ヴィーガンカフェで食事を済ませ、バスに乗り込みました。アンマの愛のパワーで満たされ、疲れることもなく、なんとなくずっと幸せな気持ちでした。帰り道、フルーツショップで寄り道をして、みんな大好きなフルーツを山のように買い、その後はしばらくフルーツ三昧でした。

ロックダウンの始まり

この後、怒涛の修行の日々が続き勉強のストレスと寝不足と消化不良で、生き抜くことに必死の毎日を過ごします。一日がとても長く、一週間がなかなか過ぎていかないという、時間の不思議を感じたものでした。

こうしてヨガのコースも半分を過ぎ、3月に入る頃、コロナウイルスの蔓延で世界中が非常事態となっていました。特にヨーロッパでは徐々にロックダウンが始まり、ヨガの仲間たちの帰国便が続々とキャンセルとなり、予定変更に翻弄される日々が続きました。インド政府の方針が毎日更新され、アシュラムからの外出も禁止となります。

終了試験を終え、ようやくコースが終了したのは、インド全土で封鎖が始まり、旅行者を拒み始めた頃でした。


関連記事