2021-04-23

インドの神様ありがとう!④ 菩提樹の下で

ブッダが歩いた場所をめぐる

待ち合わせの場所に行くと、西洋人たちがすでに数人集まっていました。りんごを買ったり、水を買ったり、旅慣れた感じの人たちです。皆コース参加者でした。大きなバスがやってきて、これが私たちのツアーバス、中は半分がもう埋まっています。ブッダが最初に講義した山、ブッダが瞑想した洞窟、など、広範囲を巡る12時間のいち大ツアーです!

揺れて揺れて揺れまくる・・

全部で30人くらいでしょうか?コース参加者ではない、チベット出身のインド僧とベトナムの尼僧とガイドというグループも一緒に参加していました。本物の修行者たちですが、実に気さくで明るく優しく、物乞いの子供たちにもお菓子を買ってあげたり、初めて会う私たちにも、自分たちで持ってきたもち米のおやつを常に分けてくれたり、温かく明るい人格が際立っていました。どうしてこの道を選んだのか尋ねると、「素晴らしい師に出会ったから」と、迷いはなかったと答えてくれました。日本ではあまり出会うことのない感覚です。

楽しい旅のなかまたち

訪れた場所は、ブッダの時代そのままのような、自然豊かな景色が広がっていました。ブッダの教えを共に学んだ仲間たちと、ブッダが実際に生きて教えを広めた場所を巡り、実はその昔、本当にここで一緒に修行をしていたのではないかと思うほど、不思議と懐かしい光景でした。

岩の洞穴では、グループみんなで中に入って瞑想をしました。聖者が洞窟で瞑想する、と聞いたことはありますが、体験するのは初めて。真っ暗で何も見えず、携帯の明かりを頼りに、時にホフク前進で、狭い空洞を前の人に必死でついてゆきます。暗闇で瞑想していると、ガヤガヤと賑やかな声とともに明かりが近づいてきました。「明かりを点してやるから金をくれ」というインドの子供たちでした。なんとまあ、たくましいと言うか.. 

さて、移動中のバスの中では、道路状況が悪く、座席のクッション性も乏しく、縦・横・ナナメに、脳も内臓も永遠に激しく揺さぶられ、骨格もズレる勢いです。私を含め、アジア勢はほとんどが車酔い予防のため、目を閉じ無言でいましたが、後方に座ったヨーロピアンたちは、とどまることなく弾む会話のにぎやかなこと!常に楽しそうなチェコの女性は、そんな大揺れの中、なんと体を反転、後ろを振り返って、しかも食べながらの喋りまくり状態、その周りの西洋人男性たちも、ワハハワハハと大盛り上がり。この違いはなんでしょう??

このツアー中、フランスやブルガリアの若者と話が弾み、二人ともまだ23歳、25歳と若いのですが、アジアのあちこちで瞑想をしているようでした。これからも会社では働かず、PCでできる仕事をして、瞑想を続けられる生活を続けたいとのこと。二人とも、アジア文化のほうが共感できるところが多い、と話していました。もちろん日本も訪れ、すばらしい国だったとのこと。

お互いに翌日はフリーだったので、噂のおいしいヴィーガンカフェでランチの約束をしました。「明日、午前中に寺院に瞑想しにいくから、あの菩提樹の下で待ち合わせしよう。ダンマ(自然の法)にまかせれば会えるよ。」と、なんとおしゃれでアバウトな待ち合わせ! ヨーロピアンは言うことが違いますな~

物乞い少年と再会

朝から晩まで、12時間のツアーで充実した1日を終えバスを降りると、昨日も何度か寄ってきた、物乞いの子供たちに遭遇しました。昨日はインドの若者たちと歩いており、あまり絡みはなかったのですが、今日は私は一人です。適当にあしらって歩いていましたが、一人だけ、いつまでもついてくる少年がいました。

私も迎えが来るはずの場所にたどり着けず困ったので、その男の子に聞いてみました。すると、ひもじさを演じるような表情から、パッと得意げな顔つきに変わり、こっちこっち!と誘導してくれました。途中においしそうなベジバーガーの屋台があったので、「食べたい?」と聞くと、笑顔でウンウン頷くので、ひとつ買ってあげました。よく見ると、笑顔の可愛い男の子です。食べ終わると、待ち合わせ場所のマハボディ寺院の門まで連れて行ってくれました。「ありがとう」と伝えると嬉しそうに笑って、迎えが来るまで一緒に待ってくれました。

ゲストハウスに戻ってディナータイムです。この日は昨日到着した中国の若者グループと、何度も送り迎えをしてもらって親しくなったスタッフと、みんなで一緒に食べました。今日見てきたブッダゆかりの地の話、このゲストハウスや学校が出来るまでの話、いろいろなお話を聞かせもらいました。実は創業者アヌープさん一家も、子供のころは町で物乞いをしていた、と教えてくれました。

つい先ほど、私を案内してくれた男の子の姿と重なり、彼もいつかは立派な大人になれるという希望や、状況が違ってもみんな同じ人間だということ、ツアーを共にした僧侶たちが見せてくれた物乞いの子供たちに対する分け隔てない愛情など、今日の出来事が繋がって、感慨深い夜となりました。

ダンマに委ねる・・

翌朝、予定外に早く目が覚め、広くてきれいなヨガホールで、久々のヨガをして朝食へ。今朝はスペンサーという名のお兄さんと一緒になりました。「さっきヨガやってたの見たよ!」、と声をかけてくれて、彼もアシュタンガヨガの先生とのこと。久々に聞くアメリカン英語、巻き舌多めの早口なペースに、一生懸命ついていきます。自己紹介の仕方も、「スペンサー,テキサス」&ウインク です。

私はちょうどヴィパッサナ瞑想コースを終えたところだと話すと、この旅で多くの人からヴィパッサナという言葉を聞いたそうで、「そろそろ自分にも行くべき時が来たかもしれない!旅の最後に行こうかな」と言うので、いつもコースを受けるたびに人生が良い方向へ進んでいく気がするから、早めに行くのもいいかも?と提案すると、「OK!じゃあ申し込む!」と即決した様子。後日、言っていた通り、カトマンドゥのコースに申し込んだというメッセージが届きました。

ゆっくり朝食を楽しんだ後、フランスの若者と待ち合わせの菩提樹の元へと向かいました。待ち合わせ時間は「午前中」。悠久の時の流れをつかめない私は、何時に出てよいのやら、ゆっくりしすぎて最後は妙にあせって約束の場所へ到着すると、彼の姿は見えません。もうすぐ午前が終わる頃、とりあえず空いている場所を探すと、本日の朝食メイトのスペンサーがいました。ちょうど近くが空いていたので、そこに座って瞑想タイムです。

目をつむったら何も見えない・・オシャレすぎる待ち合わせに慣れない几帳面な日本の私は妙にソワソワ。来ないのならば、早く帰って昼寝しようかとか、この兄ちゃんにアシュタンガヨガ教えてもらおうかなとか、邪念だらけの時間は過ぎて、いつの間にかスペンサーは去って行きました。

時計を見ると正午過ぎ。周囲の人も入れ替わり、気づけば目の前に西洋人の後ろ姿。でも待ち人ではない。

だんだんすっぽかし疑惑が湧いてきて、座席を離れ、通路わきの石垣に座って待つことにしました。人間模様を眺めていると、菩提樹の葉っぱが舞い落ちるたび、その下では熾烈な争奪戦がありました。すると、菩提樹の葉が私の腰元にスッと落ちてきました。誰も気づかず、奪われることなく。待ちくたびれた私は、菩提樹の落ち葉とともに、一人でカフェに向かうことにしました。

目指すカフェも、さんざん迷って到着し、席について、外にあるお手洗いに行こうと店を出たところで、向こうから知ってる顔!よく見ると、菩提樹の下、ずっと私の目の前に座っていた人物こそが彼でした。宿が一緒だったというカナダ人とニュージーランド人の男子たち、さっき菩提樹の下にいたの、何度も見かけましたよ。

「グッドタイミング!」とのんきに笑っており、私の無駄なアタフタはなんだったのでしょうか。お互い気が付かなかっただけで、約束通りの待ち合わせの場所で、前後に座り、一緒に瞑想していたのでした。後ろ姿を見て、似てるかも?と思ったり、リュックが同じものだと気づいていたにもかかわらず、なぜ声をかけず、立ち去ったのか。

約束の時間の「午前中」に囚われすぎて、「すっぽかされた」という過去の印象(サンカーラ)を再現したのでしょうか?肉体の目ではちゃんと見えているのに、心の目が完全に閉じていました。「もう会えないと思ったよ~!」というと、

「ダンマに任せていれば、たとえすれ違っても、こうやってまた会えるでしょ」

カッコいいことしか言わない若き瞑想者。私もいつかこのセリフが言えるように精進します。

4人で話をしていると、不思議なことに、約束もなしに、たまたま通りかかったと、また一人、また一人と昨日一緒に旅した瞑想メイトが集まりました。皆まだ20代の若さで、精神性を求める旅の経験が豊富で物知りなこと!楽しいランチ&カフェタイムで、あっという間に3時間が過ぎ、誰からともなく、当たり前のようにまたマハボディ寺院の菩提樹の下へ、皆で一緒に瞑想をしに行くことになりました。

日が長くなり、まだまだ明るい幸せな夕方、神聖な雑踏の中、菩提樹の下に座っていると、チベットの小さい子供の僧たちのグループがやってきて、チャンティングをしながら歩く長い列が通り過ぎていきました。子供たちの元気な声、大人の低く厳かな声、あちこちでそれぞれのマントラチャンティングが響き、心地よいエネルギーに満ちていました。

瞑想を終えると、名残惜むように木の下の座席から少し離れたところに移動し、菩提樹や人々を眺めていると、「最後にみんなでメッター瞑想をしよう」と、生きとし生けるすべての者の幸せを祈る慈愛の瞑想で締めくくりました。祈り終えて目を開けると、皆はまだ瞑想中でした。しばらくしてなお、「まだメッター(慈愛)を送りたい人がいるから、もうちょっと待って」という声に、待っているから大丈夫だよ、と微笑む仲間たち。なんてピュアな人たちでしょう。

菩提樹の元、祈りのチャンティングが響き、人々が行き交う雑踏も、光景すべてが愛おしく、なんという優しい時間。もしもこの時、いつもの自分のペースで動いていたら、こんなにもその一瞬一瞬を楽しむことも、味わうことはなかったような気がします。心は常に「今」ではなく、「次」に囚われていたことに気づかされました。

帰り際、ピンクや青や色とりどりの電光装飾でキラキラ輝く寺院を見て、「ビューティフルだね!」と感激していた彼らに、神聖な寺院にミスマッチだなーと、少し批判的に見ていた私は、なんであれ、「今」を大らかに楽しむ彼らの心が素敵だなと思うようになりました。

「さあ、ディナーに行こうか?」という流れになりましたが、明日出発する私はこの時点で帰らねばならず、残念ながらお別れの時が来ました。ゲストハウスからの迎えが来るまで、皆が一緒に待ってくれました。改めて見ると、みんな身長が高く、なんてカッコいいのでしょうか。素敵な彼らとも、一人一人、大きなハグでお別れの時。過去の人生でも、修行仲間だったのかも。この日のことを思い出すと、いつでも優しさを取り戻せる気がします。

宿へのお迎えが来てくれて、一緒に待ってくれたみんなに見送られ、スクーターの後ろに乗って、ブッダガヤの町を駆け抜ける。途中でフルーツ屋台に寄る。なんだかんだで最高の一日だったな。

ゲストハウスに帰ると、朝のアメリカ兄さんスペンサーがいて、一緒にディナーを食べながら、お互いの一日を報告。お兄さんはこの日、バイクに乗ったインド人に「案内しようか?」と声をかけられたそうです。頭のNO!より、心のGO!に従って、流れに身を任せてみたら、思いがけない素晴らしい休日となったと話してくれました。お金はいらない、と言って、村の案内だけでなく、家に招かれ、おいしい家庭料理を家族みんなで食べたのだとか。

旅慣れたスペンサーさんですが、いつもなら絶対断っていたけど、この日の朝の私との会話から、「ダンマにゆだねる」というインスピレーションを受けたのだそうです。素敵な一日のきっかけとなっていたなんて、なんともうれしい報告に、明日からの冒険への元気をもらいました。

子犬たち。

9日ほど前、初めて会った時には目も開いてなかった子犬たちは、あっという間に大きくなり、あちこちはしゃぎ回っていました。人も動物も、あっという間に成長してしまい、時の流れを実感します。足元にじゃれて上ってきたり、本当にかわいくて、心は一瞬で愛に満たされ、ずっと一緒に遊んでいました。

後に、この土地を離れた翌週、この子犬の姉妹の片方が、自転車に引かれて息を引き取ったと知りました。つい先日まで、生命力にみなぎっていた小さな命の、悲しすぎる訃報でした。「今生きているということが奇跡のようなもの。ずっと一緒、ずっと変わらないものなんて、この世には何もないということを、小さな体で教えてくれました。」というゆうこさんのメッセージを読み、変わり続ける世の中で、当たり前はないということ、今をありがたく生きること、忘れないようにしようと思いました。

インドに来て最初の土地から、すでにたくさんの衝撃的な出来事が起こりましたが、すべては「あるがまま受け入れる」の修行のように感じました。これまでの常識を覆す、世界の大きな変化の兆しは、この時はまだ始まったばかりでした。

季節は巡り、この一年後、天国へ旅立った子犬の姉妹が、また新しい命を授かりました。子供たちが3匹生まれたとのこと!どうか元気に育ちますように!

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